庄川挽物木地の歴史

天正年間藩政期から流木事業が行われ、加賀藩の用材調達のため、飛騨御用木が庄川を利用し流されていました。
その流木は庄川地域の貯木場に蓄えられ、面積12,000㎡におよぶ北陸随一の木材集積地を成し、木工業が栄えることとなりました。
中でも挽物は生産高においては日本一を誇るようになりました。

庄川挽物木地は慶応2年に越後谷清次が庄川地域でロクロ木地を営んだのが始まりですが、以前より近くの山にロクロ師がいたとも伝えられています。

明治時代には、木材の集積地として栄えた庄川の地の利を生かして輪島や高岡等の漆器産地の一大下木地生産地が形成されました。

戦後はプラスチック製品などに押され気味でしたが、原木からの木取りや仕上げまでの一貫した手作業が作りだす製品の味わいが見直されています。