夜高行燈の歴史

庄川地域を含む砺波地方では6月初旬に、田植えが終わり休みを取るという意味の「ヤスンゴト」(休んごと)と呼ばれる習慣があり、この時期に合わせて各地で五穀豊穣を願う田祭りなどが行なわれています。

庄川地域では福野町(現 南砺市福野町)の福野夜高行燈を参考に、金屋・青島地区の人々が昭和7・8年頃から行燈を作成し練り回しました。その後、各地区も行燈を制作し、競い合ううちに大型化していきました。

太平洋戦争の影響により祭り自体がすたれ廃絶しましたが、1953年から始まった庄川町観光祭にて復興し盛大に行なわれるようになり、最盛期には30数基の大小行燈が街を練り回していました。

昭和30年代に入ると行燈制作の負担や、自動車普及が街練りに支障をきたしたため徐々に数が減り、1962年にはまたも廃絶しました。

1973年に金屋・青島地区の人々が行燈10数台を曳き出したことで再び復興を果たし、以降現在まで受け継がれています。